お寺とは

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お寺とは

お寺とは

WHAT IS A TEMPLE

お寺とは仏様のお住まいです。僧侶は仏様にお仕えする者です。

僧侶の使命とは、仏様のみ教えを実践して少しでも仏様に近づくこと。そして仏様のみ心を人々に伝えること。皆様と一緒に仏様に近づけるように導くこと。仏様の代理人に過ぎない僧侶が威張るなんてもってのほか。仏様とのご縁の橋渡しができなければ、僧侶としてお寺にいる意味もない。

このようなお寺の原点に立ち返って、一生懸命に仏様のみ心を一人でも多くの方々にお伝えしたいと願っております。

仏教のみ教え

お釈迦様の生涯を描いた絵画
本堂に掲げられたお釈迦様の生涯を描いた絵画

仏教のみ教えは果てしなく広くて深いのですが、一番の根幹は「慈悲」と「平等」です。世界を見渡して、仏教国だけが「敵も味方もなく」「心から優しく」あろうとしています。それぞれの宗教に素晴らしさはありますが、この「慈悲」と「平等」を徹底している点は、ほかの宗教が追い付けない部分ではないでしょうか。そしてその背景の哲学こそが「ご縁」です。世の中に偶然はなく、出会いを大切にする。立場がかわれば誰もが相手と同じふるまいをしてしまうかもしれない。そんな、万人への共感と思いやりの心を育んでくれたのが「仏教」なのです。

仏教は今から約2500年前にインドで生まれました。シャカ族の王子として生まれたゴータマ・シッダールタという方が世の無常を感じ、全てを捨てて出家修行し、最後にたどり着いたのが「覚り」であり、迷いの煩悩をすべて燃やし尽くして「仏」となられた道すじこそが「仏教」なのです。

お釈迦様の誕生

摩耶夫人とお釈迦様の誕生。右手を天に指し「天上天下唯我独尊」と唱えられたと伝えられます。

「覚り」に至るためには「おこない」を制御し(戒め)、「こころ」を制御して鎮め(禅定/瞑想)なければなりません。そうして身も心も静まり、研ぎ澄まされて清らかになっていった果てに「智慧」が輝きだし、やがて「覚り」に至ると言われています。

仏教のみ教えは無数にあり、すべてを身につけることは到底できません。高い山の山頂に登るのに、全ての登山道を通る必要がないのと一緒です。ある人は戒めを徹底し、ある人は瞑想に打ち込み、またある人は仏様と一体になろうと工夫し……

浄土宗のご信仰

法然上人御影
浄土宗開祖 法然上人

真願寺は浄土宗のお寺です。浄土宗は今から850年ほど前に、法然上人によって開かれました。

平安時代末は地震などの天災や疫病の恐怖が広がっていました。そんな状況で、心を落ち着けてじっくり修行ができるわけもない庶民でさえ救われる教えを命がけで探し求めて、最後にたどり着いたのが「南無阿弥陀仏」と声に出して称えるという「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」のみ教えです。

仏教の究極目標である「覚り」を得るために、苦しみに満ちたこの世(娑婆世界)ではなく、阿弥陀仏という仏様のいる素晴らしい世界「極楽」へ行ってから、極めて楽しく仏道修行して「覚り」を得る。山頂を目指すために「極楽」というゴンドラに乗るのが「往生」であり、往生してから「成仏=仏に成る=覚りを得る」を目指すのが、浄土宗の考え方です。そして、まずそのゴンドラに乗るための方法だけに集中するのが「南無阿弥陀仏」とお称えする「称名念仏」なのです。

お念仏で往生した人は、皆さん極楽にいらっしゃいます。この世での命が終わってからは、阿弥陀仏様の作った極楽浄土で再び会うことが出来ると言われます。「南無阿弥陀仏」は、苦しみのこの世でも簡単に仏様の世界に行ける、とっても嬉しいご修行なのです。

葬儀を迎えるに当たって

阿弥陀三尊
阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩

浄土宗のみ教えは、万人に開かれた、万人を救うことの出来る、万人のためのみ教えです。

葬儀という人生の一番大切な場面で、真願寺の僧侶は心を込めて阿弥陀仏様にお迎えにお越しいただくようにお願いし、お念仏をさせていただきます。今まで仏様とご縁のなかった方でも、必ずやお迎えに来てもらえるように全身全霊でもってお経をお上げいたします。

どうぞご安心なさって、ご一緒にお念仏賜りますようお願い申し上げます。

南無阿弥陀仏  合掌

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